もがいてる

俺たちいつまでも歳を取るのを楽しみにしてようなって話してる

ヴィヴィアン・マイヤー、その生涯と作品 - 1 (by Nora O'Donnell)

http://www.chicagomag.com/Chicago-Magazine/January-2011/Vivian-Maier-Street-Photographer/index.php?cparticle=1&siarticle=0#artanc


長いので数回に分離します。


http://www.vivianmaier.com/gallery/self-portraits/#slide-16

日陰の人生


North Shore家に乳母として雇われていたVivian Maier――親切だがエキセントリックな女性として知られている彼女は、箱のなかに私生活をこっそりとしまいこんだままこの世を去った。彼女の死後、これを発見するチャンスを得たのはある一人の男である。彼の名はJohn Maloof――彼こそが、Vivian Maierの写真家としての才能にスポットライトを当て、大量の作品に関する評価を育てたのだ。


2007年の終わりごろは彼にとって忘れられない時間だろう。ジョン・マルーフは若い不動産エージェントだったが、その日は地域のオークションハウスで時間を潰していた。Portage Parkで行われているRPN市では、細々と分類された不要品やリサイクル品――どれもジャンク品だ――が集められる。
小売リサイクル業者として、マルーフは歴史的な写真でも見つけられればいいと思っていた。彼はちょうどその時、副業としてPortage Parkに関するちょっとした本を共同執筆していたからだ。そして彼はある箱に出会った。その箱は収納ロッカーの中に打ち捨てられていたもので、ざっと見てみると大量の白黒写真が入っていた。しかもその写真は1950~60年代のシカゴ市の中心商業地区が映っている。彼はなにか面白いものがありそうだと直感し、400ドルを投げ出して箱を家に持ち帰ったのだった。精査の結果、Portage Parkの景色はひとつもないことがわかった。だが、箱にはまだ30000以上のネガが残っていた。Maloofはひとまず全部クローゼットの中に放り込んでしまった。


読者の皆さんにはいろいろ言いたいことがあるだろうが、このような行動様式は、たぶんシカゴの西海岸に育った貧しい子供なら、そして巡回する蚤の市で働いたら、たぶん勝手に身についてしまう類のものだ。彼は写真について何も知らなかったが、最終的には箱をひっくり返してネガをとっくりとながめ、それからおもむろにPCに取り込み始めた。この無名の芸術家を保存する時間は実に楽しいものだった。汚れた商店の窓の隅っこからそっと顔をのぞかせたこじゃれた少年、公園の木のベンチに無理に割り込もうとするでかいケツ、スリーピースのスーツを着ているにもかかわらず、仰向けになって車のフロントシートでうたたねしている男、彼の右腕が光を遮り、彼の顔は影になっている。ああ、とマルーフは思った。なんかすごくクールだ。誰がこれを撮ったんだろう?


オークションハウスの窓口担当は、その写真家の名前を知らなかった。ただ、収納ロッカーの中にあったものは、ある年老いた病気の女性の所有物だったという情報は教えてくれた。時が過ぎ、Maloofは同じ女性のもの思われるネガを所有している人々を突き止めた。彼はその箱の中身を買った。次第にコレクションの維持にはコストがかかるようになってきたので、彼はごく自然にそれを換金することにした。まず、彼はネガを分割し、eBayで宣伝した。ネガは驚くほどの人気になり、なんと80ドルの値がついたものまであった。Maloofもさすがに、自分はなにか素晴らしい物に遭遇しているのだ、と気づいた。そしてこの無名の写真家を突き止めようと決めたのである。


RPNで最初の箱をかって一年以上が過ぎていた。2009年4月末のある日、Maloofはついにきっかけをつかんだ。写真現像室の箱の底に眠っていた封筒を発見したのである。鉛筆で書かれていたのは名前――Vivian Maierとあった。彼は試しにググってみたが、検索結果は一件しか表示されなかった。しかもそれは、シカゴTribuneの記事で、わずか数日前にポストされたものだった。内容は83歳女性の亡くなったことを知らせていた。「ヴィヴィアン・マイヤー、この誇り高いフランス人はシカゴで50年暮らし、先の月曜に静かに亡くなられました。ジョンとレーヌ、マシューの第二の母であり、自由で、しかも彼女を知っているどんな人でもその人生に触れれば魔法にかけられたように意気投合したものです。いつも彼女は助言や意見をくれましたし、助けの手を差し伸べることを惜しみませんでした。類まれな映画評論家かつ写真家でもあります。彼女の死は惜しまれますが、その素晴らしい人生について私達はみな祝福し、そして決して忘れることはないでしょう。本当に素晴らしい人物でした。」


Tribuneへ電話して不完全なアドレスと繋がらない電話番号を手に入れた後、Maloofはどこへたち戻るべきかわからなってしまった。とはいえその間も彼はMaierの作品をvivianmaier.comに掲載し始めていたし、2009年の10月には彼はブログと写真シェアサイトであるFlickrにリンクさせ、Maierの写真に関する疑問を投稿するようになっていた。この疑問「これでなにができるだろうか?(誰かにあげる以外で)」は主にストリートフォトグラフィーについて語り合う掲示板で議論された。


議論はウィルスのように広まった。様々な提案が怒涛の勢いで寄せられ、世界中から彼のブログにアクセスが集まった(GoogleでVivian Maierと検索すると、今では18000件以上もの検索結果が見れる)。Maloofは彼が思ってた以上に大きな事態になっていることを悟った。


この点に関して彼の認識は正しかった。彼は試験的にVivian Maierの写真をいくつかオンライン出版したが、彼女の作品は熱狂的なフォロワーを集めた。彼女の写真はイタリア、アルゼンチン、そしてイギリスの新聞でアピールされた。デンマークノルウェイでは展示会が行われたし、シカゴ文化センターでは1月にショーが開かれる予定になった。いくつかの写真はMaier自身以外誰もみたことがないもので、Maloof自身も彼女が残したものの表面をひっかいていただけにすぎなかった。彼は集めた彼女のネガは10万枚くらいだと見積もっている。また別のMaierのコレクターであるJeff Goldsteinは12000枚以上を所有している(幾つかはvivianmaierphotography.comに掲載されている)。ほとんどのMaierの写真は白黒で、ラフな構図が特徴のカジュアルな写真だ。どれも人々の動作――一瞬の表情だが、根底にはある種の重力と感情がこもっている――を撮ったものである。そしてMaierはかなり遠く広くカメラを持って活動していた。ネガの中にはロサンゼルス、エジプト、バンコク、イタリア、南西アメリカのものがふくまれていたのだ。Maierの作品にひそむ驚くべき広さと深さはMaloofの中に二つの疑問を呼び起こした。Vivian Maierとは何者なのか、そして彼女の突出したビジョンをなんと説明すべきなのか? 彼女の魅力的な写真と同じくらい、この疑問は人を引きつける強さがある。