読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もがいてる

俺たちいつまでも歳を取るのを楽しみにしてようなって話してる

英語はいつからやっても上達する、は本当か? または英語がうまいより、英語をよく理解して正しく日本語で表現できる能力について

特に内容に異論はないのだが、英語はいつからやっても上達するかというと必ずしもそうではない、もう少し正確にいうと同じくらいの努力をしても人によって上達の差はある、といえる。これは母国語が何かにもよらないし、頭の善し悪しにもよらない。コミュ力は多少あるかも知れないが、しかしそれも全てではないのだ、と思う。


ちなみに僕はオーラルコミュニケーションはあまりよろしくないが、報告などでしゃべる場合はそこそこ普通にしゃべる。日本語訛りはもちろんあるけれども、ラテン語圏のひとからみてもまぁまぁ及第点レベルだそうだ。もちろん丁寧な言い回しとかはできませんし、語彙も少ないですけども。なお非オーラルになるとレベルは段違いにかわり、仕事するんでも雑談するんでも問題ないレベルになる(もちろん語彙は少ないですし時々すごく間違えますが)


ところでイギリスにはヨーロッパからたくさん人が来ている。南欧から東欧、果てはカムチャッカから来た(日本のほうが近いじゃないか)という人までいるが、みな英語をしゃべっている。そして、レベルはみんな違う。もう三十年近く英国に住んでいてもたどたどしい英語を喋る人もいれば、半年もいないのに流暢に話す人もいる。発音はものすごく綺麗だけど、ゆっくりとしか話せなくて、しかもしょっちゅう単語が出てこないという人もいる(もちろんそれでも文法的な間違いはないし俺よりは流暢にはなすのだが)。同じ国から来ていても長く住んでいる人のほうが下手、ということもある。
もちろん確かにスラブ言語をしゃべる人々のほうが英語を苦手としているという傾向はあるのだけれども、ポルトガルやスペイン、イタリアあたりからくるラテン言語圏のひとびとでも英語の習熟度は人によっていて、人が好きでとにかくしゃべりまくるタイプでも下手ということは往々にしてあるのだ。つまり、言語が上達するスピードはやる気やコミュ力母語によらないのである。たぶん耳あるいは脳内の言語処理方法の違いなのだろうと僕は思う。僕はデベロッパーで複数プログラミング言語を使うが、デベロッパーでも英語の流暢さは人によるので、読み書きと話す聞くは関連性がないらしい。



努力したからってできるようにはならない(もちろんジリジリと能力は上がります)し、誰だって外国語ができるようになる、というのはまやかしだ。



でもだからって絶望する必要はない。英語――外国語は別にうまくなる必要はないのだ。外国人だとわかれば外国人だということで処理されるのが世界の常識である。嫌な顔をされることもあるが、親切な人はどこにでもいる(もちろん騙そうとするのもいるので注意は必要である)。それよりも大切なのは英語をよく理解することだ。下手でも相手の意図を汲んでそれにこたえる能力があれば、たとえ扱いは外国人だったとしても、十分にコミュニティに入ることができる。そしてさらにその理解した内容を母国語できちんと表現する、もしくは母国語の内容を下手なりに簡潔に外国語で表現できれば、できることはたくさんある。必要ともされる。rとlが上手く発音できてないなんて一度たりとも言われたことがない。chocolateをtoiletと間違えられても(確かに音節は同じだ)それは笑ってしまえばいいことだ。発音悪くてごめんねといったことは数限りなくあるが、紙とペンがあれば最終的にはなんとかなるのである。


言葉をよく理解し、正しく表現するのは、外国語の能力ではない。母国語で培われる能力だ。母国語を磨くことで得られる能力だ。確かに公衆の面前でスピーチをするような立場のひとであれば、流暢で美しい発音を求められるだろう。だが、ほとんどの日本人にはそういうことは求められていないのだから、もっと日本語を勉強してほしい。日本語はしゃべるのは簡単だが、正しく読み書きするのは非常に難しい言語だということを忘れないでほしい。