もがいてる

俺たちいつまでも歳を取るのを楽しみにしてようなって話してる

ほとんど赤ん坊

夜間飛行が難しすぎて訳せないので小話一つ。


彼女は「メイヨー」といった。僕はメイヨーとはなにかと思った。それは知らない言葉であり、また僕はその言語について音から文字を推測する術を持たなかった。メイヨーと彼女はまたいい、首を横に振った。眉根をきゅっと寄せ、なにか真剣な顔をしている。今にも逃げ出しそうに腰をひき、しかし黒い目をひからせ、彼女は首をもう一度横に振った。僕はようやく頭の中から言葉をひとつ見つけ出し、ノー? ユードンハブ? 彼女はひどく困惑した顔をしてもう一度メイヨーといった。僕が指をクロスさせると、彼女はようやくほっとした顔になり、そしてもう一度メイヨーと言った。
言語というのは本来そうして習得されるものだと思う。赤ちゃんのように言語を学ぶ、というのは今のはやりのようだ。特にリスニングやスピーキングの教材では多用される。確かに文字を介さないコミュニケーションでは、意味を手探りで推測するほかなく、そうして得た言葉はおおよその場合忘れていかない。
文字に頼りすぎると、話者の送るサインを見逃す。予備知識があると、例えば日本人はRとLの発音が区別できないとかいう、およそそのレベルに到達していないにもかかわらず知識だけを先に仕入れてしまうと、通じないのは自分の言葉が足りないからではないかと思ってしまう。発音が、単語が、文がうまくできないから。だから、音声を認識させられない。
でもそうではないのだ。
彼らは機械ではない。人間なのだ。柔軟性があり、ある程度の補完をすることができる、人間なのである。しかも僕達は言語だけでできているわけではない。
数日後、僕はまた彼女に会った。彼女は給仕をしており、僕は既に料理を頼んだ後だったが、その中の注文がひとつ来ていなかった。どうやら忘れ去られているようだと僕らは既に判断し、つかまえられそうな店員を探していたのだった。彼女は僕を覚えていたのだろうか、はにかんだように笑い、とことこと僕の方へ来て、なにか言った。僕はよくわからないままにこりとわらい、それから、メイヨーといった。メイヨー、コレ、メイヨー。メイライ。メイライ? メイライ。来? 来。没来。そして彼女はどこかへ行ってしまった。料理はしばらくしてきた。