もがいてる

俺たちいつまでも歳を取るのを楽しみにしてようなって話してる

ルーマニアの亡霊 ― 忘れ得ぬ美しさ、急がれる写真保全

http://lightbox.time.com/2014/02/04/costica-acsinte-archive/#1
の翻訳。



時間は仮想抽象概念として写真にレンダリングされます。しかし、収縮のサイケデリックな渦巻きの向こう、感光乳剤を薄く引き剥がせば、その写真の主題が無の中からはっきりと顔を出すでしょう。さらにはほんのわずかではありますがその写真をとった写真家についても知ることができるかもしれません。もっともその魅力の大部分は情報が明らかにされたからというよりは、覆い隠されたものや、見るものを拒否するなにかによるものですが。


Costica Acsinteはルーマニアの軍事写真家でWW1の時代に活躍しました。退役後、彼は小さな商用スタジオをブチャレストの東、約80マイルにあるスロボツィアで開きました。戦争後二十年間彼はこの地域でほぼ唯一のプロカメラマンんだったようですが、1984年になくなるまでの間、5000枚以上のネガ乾板と数百枚のプリントを含む壮大な、人類学的スコープのアーカイヴを作成していました。


「写真が必要な人はだれでも彼のスタジオに行くべきです」とCezar Popescuは言います。彼は法律家から写真家へと転身した人物で、この数年間は企業や一定のサポートを受けず、Acsinteのアーカイブ全体のデジタル化を労を惜しまずに続けています。


Popescuの父は、Acsinteの息子――彼も写真家です――と一度働いたことがありますが、彼自身は小さな地域の歴史博物館の手によって出版された数枚のポストカードから作品のことを知りました。Ascinteの死後、家族によって博物館に乾板が提供されました。この乾板はそれぞれ額縁に保管されていて、かなり興味深い生活記録になっているとPopescuはいいます。乾板が完全にだめになる前にスキャンすべきだと彼が説得するまで、写真は殆ど手付かずで残されていました。


「一つ一つ、出来る限り多くの情報を引き出したいと願っています」と彼は言います。「しかし今現在の私の主な関心は、乾板のデジタル化です。デジタル化は極めてすぐに行わねばならない。時がたつにつれ、感光乳剤の中の亀裂は増えるでしょう」


いくつかのプレートには日付とキャプションが刻み込まれている。しかし軍事記録を除けばほとんどのものはいつ、どこでそれが撮られたのか、そして映っているのが誰なのかさえわかりません。「私はこの写真の内容が重要かそうでないかを教えられるような人ではないです」とPopescuは付け加えます。「私にとっても、これほどまでに取り返しの付かないなにかを失うのは残念でなりません」


僅かにあるいは全く参照が修正されていないほとんどの抽象的な作品に関しては、イメージを伴うそれぞれの出会いがユニークに感じられる。誰かがある日、一枚またはそれ以上の作品に関して、なんらかの関連性に気づくとか、歴史的または地域的意義について示すということがあれば、とPopescuは願っています。しかしそれらがわからなかったとしてもこの作品の持つ美しさは見るものを惹きつけてやまないでしょう。


1984年のAcsinteの死以来、これらの画像に対してはいかなるライセンス制限も行われていません。実際、Acsinteの作品全体はパブリックドメインに公開されていて、ルーマニアクリエイティブ写真会のコミュニティ規約のもと著作権を保持しています。写真はダウンロード、シェア、編集、翻訳、あるいは連作加工がフリーで、ブログや印刷物への掲載、壁、ビルボードに掲載する――とにかくどこでなにをしても自由です。全体のアーカイブはFlickrFacebookまたはTwitterからアクセスできます。この人を知っていますか?もし知っているならLightBox@TIME.comまで。


Update: February 2014: The original version of this article had mistakenly referred to Costica Acsinte as “likely the only professional photographer in the country,” rather than “county.”


Read more: The Race to Save a Hauntingly Beautiful Photo Archive - LightBox http://lightbox.time.com/2014/02/04/costica-acsinte-archive/#ixzz2v5bJw1v4

結構意訳になった。あとで校正する。